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公卿と公家の違いを徹底解説!歴史的背景から役割まで分かりやすく紐解く

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公卿と公家の違いを徹底解説!歴史的背景から役割まで分かりやすく紐解く
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日本の歴史を彩る「公卿」と「公家」。これらの言葉はしばしば混同されがちですが、実は明確な違いが存在します。本記事では、それぞれの言葉が持つ意味や歴史的背景、そして具体的な役割を分かりやすく解説し、その違いを徹底的に紐解いていきます。

目次

公卿と公家の違いを徹底解説!混同されがちな二つの言葉の定義

公卿と公家の違いを徹底解説!混同されがちな二つの言葉の定義

「公卿」と「公家」は、どちらも朝廷に仕える人々を指す言葉ですが、その範囲には大きな隔たりがあります。この章では、それぞれの基本的な定義と、両者を区別する決定的な要素について詳しく見ていきましょう。

公家とは朝廷に仕えた貴族の総称

「公家(くげ)」とは、平安時代から江戸時代にかけて、天皇に仕え、政務や儀式を執り行った貴族階級の官僚たちの総称です。武士が台頭する以前の日本では、政治を支える重要な存在でした。彼らは天皇の側近として宮中での行事に参加し、政治や文化の発展に寄与しました。古典文学に描かれるように、歌を詠んだり、囲碁や蹴鞠で遊んだりする優雅な姿が知られていますが、その本業は天皇を補佐する事務仕事全般でした。

天皇の神事や元号の制定、官位の授与といった重要な仕事において、公家たちはそれぞれの専門性を活かし、必要な文書の起草や前例の調査を行っていたのです。

公卿とは公家の中でも特定の高位高官を指す言葉

一方、「公卿(くぎょう)」は、公家の中でも特に位が高く、重要な官職に就いていた人々を指す言葉です。具体的には、律令制において三位(さんみ)以上の位階を持つ貴族、または参議(さんぎ)以上の官職にある者を指します。 彼らは太政官の議政官(大臣・大納言・中納言・参議)を指すことが多く、国政を担う最高の職位にありました。

平安時代には、「公」は大臣、「卿」は参議または三位以上の廷臣を指すことから、合わせて公卿と呼ばれるようになったとされています。 公卿は公家社会の中でも最高幹部の立場であり、最も重い国政を担う役割がありました。

決定的な違いは「位階」と「官職」にあり

公家と公卿の決定的な違いは、その「位階(いかい)」と「官職(かんしょく)」にあります。公家が朝廷に仕える貴族全般を指すのに対し、公卿は公家の中でも特定の高い位階(三位以上)や官職(参議以上)を持つ者に限定されます。 つまり、公家は「朝廷に仕える貴族」という大きな枠組みであり、その中に「公卿」という、より限定されたエリート層が存在する関係です。

例えるなら、会社員全体が「公家」で、その中の役員クラスが「公卿」というイメージが分かりやすいでしょう。 この位階と官職の基準が、両者を明確に区別する重要な要素となります。

公家の階層構造と役割:堂上家と地下家

公家の階層構造と役割:堂上家と地下家

公家社会には厳格な階層構造が存在し、その中でも「堂上家(とうしょうけ)」と「地下家(じげけ)」という二つの大きな区分がありました。この階層によって、彼らの宮中での待遇や昇進の限界が大きく異なりました。

清涼殿への昇殿を許された「堂上家」

堂上家とは、御所の清涼殿南廂にある殿上間(てんじょうのま)への昇殿を許された家柄の公家のことです。 昇殿とは、天皇の日常生活の場である清涼殿に上がって天皇に近侍することを意味し、これは公家にとって非常に名誉なことでした。堂上家は、公卿になれる家柄であり、上級貴族とも呼ばれます。 江戸時代末期には137家が存在し、彼らは朝廷の主要な役職を世襲し、政治の中枢を担っていました。

堂上家の中にもさらに細かな家格があり、摂家、清華家、大臣家、羽林家、名家、半家といった序列が存在しました。

昇殿を許されなかった「地下家」

一方、地下家とは、清涼殿への昇殿を許されなかった家柄の公家のことです。 彼らは殿上人(昇殿を許された者)に対して「地下人(じげにん)」とも呼ばれ、文字通り地面や床下で働く存在とされていました。 地下家は中流・下級貴族にあたり、主に実務的な職務を担いました。例えば、宮中の清掃や警備、儀式の準備など、多岐にわたる裏方の仕事を担当していたのです。

昇殿の有無は、公家社会における身分の垂直構造を象徴するものであり、地下家は堂上家とは異なる待遇を受けていました。

公家の家格と具体的な役割

公家の家格は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて固定化され、家柄によって就任できる官職が限定されていました。 最上位は摂政・関白を出す「摂関家(五摂家)」で、近衛家、九条家、二条家、一条家、鷹司家がこれにあたります。 次いで、大臣や大将を兼ねる「清華家」、大臣に昇れる「大臣家」、大納言まで昇進できる「羽林家」や「名家」、そして大納言まで進む「半家」と続きます。

これらの家格は、公家がどのような官職に就き、どの程度の出世が見込めるかを決定づける重要な要素でした。公家たちは、それぞれの家格に応じた専門分野を持ち、朝廷の運営を支えていたのです。

公卿の具体的な官職と位階:朝廷政治の中枢を担う人々

公卿の具体的な官職と位階:朝廷政治の中枢を担う人々

公卿は、朝廷の政治を動かす最高幹部であり、その地位は特定の官職と位階によって厳密に定められていました。彼らがどのような役職に就き、どのような権限を持っていたのかを詳しく見ていきましょう。

三位以上の位階を持つ者

公卿となるための主要な条件の一つは、三位以上の位階を持つことでした。 位階とは、官人の序列を示す等級であり、「正一位」から「従八位下」まで細かく分かれていました。数字が小さいほどランクが高く、「正」は「従」よりも上位です。 三位以上は「貴」と称され、貴族の中でも特別な意味を持つ存在でした。 この高位の位階を持つことで、公卿は朝廷における発言力や影響力を持ち、重要な政策決定に関与することができました。

彼らは朝廷の儀式や行事においても、中心的な役割を担うことが多かったのです。

参議以上の官職を持つ者

もう一つの公卿の条件は、参議以上の官職に就いていることでした。 参議は太政官の議政官の一つであり、国政の審議に参与する重要な役職です。 参議以上の官職には、太政大臣、左大臣、右大臣、内大臣、大納言、中納言などがあり、これらは朝廷の最高幹部を構成しました。 たとえ位階が四位であっても、参議の官職に就けば公卿と見なされることもありました。

これらの高官たちは、天皇を補佐し、国の政治を実際に動かす役割を担い、その決定は国全体に大きな影響を与えました。

摂関家や清華家といった公卿の家格

公卿の地位は、個人の能力だけでなく、その家柄によっても大きく左右されました。特に「摂関家」と「清華家」は、公卿の中でも最高の家格を誇りました。摂関家は、摂政や関白といった天皇を補佐する最高職を世襲する家柄であり、近衛家、九条家、二条家、一条家、鷹司家の五家がこれにあたります。 清華家は摂関家に次ぐ家格で、近衛大将や大臣を兼任し、太政大臣まで昇進できる可能性がありました。

これらの家柄は、代々高位高官を輩出し、朝廷政治において絶大な影響力を持っていました。公卿たちは、それぞれの家格に基づき、朝廷内の序列や役割が定められていたのです。

歴史的背景から見る公卿と公家の変遷

歴史的背景から見る公卿と公家の変遷

公卿と公家は、日本の歴史の中でその役割や位置づけを大きく変えてきました。律令制の確立から武家政権の台頭、そして明治維新に至るまでの変遷を追うことで、彼らの存在がどのように変化していったのかを理解できます。

律令制下での公卿の確立

公卿の概念は、中国の律令制度を手本として作られた日本の律令制の中で確立されました。 中国の高官の総称である「三公九卿」に倣い、日本では太政大臣、左大臣、右大臣を「公」、三位以上の貴人や参議の官にある者を「卿」と呼び、両者を合わせて公卿と称するようになりました。 律令制の下では、公卿は国政を担う最高の職位として、政所や荘園を持つ特権が許されていました。

この時代、公卿の多くは天皇と血縁関係が近い者が占めていましたが、摂関政治の成立とともに、その比率は変化していきます。

武家政権下の公家と公卿

平安時代末期に武士が台頭し、鎌倉時代に武家政権が確立すると、公家と公卿の立場は大きく変化しました。平清盛が太政大臣に就任したことを皮切りに、源頼朝やその子孫も公卿の地位に昇進し、征夷大将軍が公卿の身分を持つことが伝統となりました。 鎌倉幕府が成立すると、公家政権(朝廷)と武家政権(幕府)が並立する形となり、両政権は概ね協調しながら政務にあたっていました。

しかし、室町時代になると公家政権の権限は有名無実化し、公家たちは朝廷に出仕しつつも、足利将軍家に仕える者も現れるなど、その影響力は低下していきました。 江戸時代には、公家社会は江戸幕府から保護を受ける一方で、天皇と公家は厳しく規制されることになります。

明治維新後の変化

明治維新は、公卿と公家にとって大きな転換点となりました。1868年(明治元年)の王政復古の大号令により、公卿の官位制度は廃止され、新たに「華族制度」が創設されました。 旧公卿132家は、旧藩主とともに華族に改編され、近代日本の上流社会を形成することになります。 華族制度は第二次世界大戦の終戦まで続きましたが、1947年(昭和22年)の日本国憲法施行に伴い、消滅しました。

しかし、戦後の昭和中期から平成時代にかけて、公家文化が見直されるようになり、その伝統を伝える活動も行われています。

よくある質問

よくある質問

公卿と公家はどちらが偉いのですか?

公卿の方が公家よりも偉いと言えます。公家は朝廷に仕える貴族全体の総称であり、公卿はその中でも特に位階が三位以上、または参議以上の官職に就く最高幹部層を指すためです。

「殿上人」とは公卿のことですか?

殿上人は公卿とは異なります。殿上人とは、天皇の日常生活の場である清涼殿の殿上間に昇殿を許された者の総称であり、三位以上の公卿は原則全員含まれますが、四位・五位の一部や六位の蔵人も含まれることがあります。 つまり、公卿は殿上人の中に含まれる高位の者たちですが、殿上人全てが公卿というわけではありません。

公家はなぜ武士に権力を奪われたのですか?

公家が武士に権力を奪われた主な理由は、武士が軍事力を背景に力をつけ、荘園からの収入が不安定になったこと、そして武士が地方の支配を強めていったためです。平安時代後期には武士が台頭し始め、鎌倉時代には武家政権が成立しました。 公家は儀式や文化を重んじる文官中心の社会であったため、武力を持つ武士に対抗しきれなかった側面があります。

現代に公家の子孫はいますか?

はい、現代にも公家の子孫は存在します。明治維新後に公家は華族となり、戦後に華族制度は廃止されましたが、その子孫は現在も日本の各地で生活しています。公家の子孫が中心となって、公家文化の継承や交流を行う団体も存在します。

公卿と公家の読み方を教えてください。

公卿は「くぎょう」、公家は「くげ」と読みます。

まとめ

  • 公家は平安時代から江戸時代にかけて朝廷に仕えた貴族全体の総称です。
  • 公卿は公家の中でも三位以上の位階、または参議以上の官職を持つ高位高官を指します。
  • 公家と公卿の決定的な違いは「位階」と「官職」の基準にあります。
  • 公家は清涼殿への昇殿を許された「堂上家」と許されなかった「地下家」に分かれます。
  • 堂上家はさらに摂関家、清華家、大臣家、羽林家、名家、半家といった家格に分類されます。
  • 公卿は太政大臣、左大臣、右大臣、大納言、中納言、参議などの重要な官職に就きました。
  • 律令制下で公卿の地位が確立し、国政の中枢を担いました。
  • 武家政権の台頭により、公家と公卿の政治的影響力は徐々に低下しました。
  • 明治維新により公卿の官位制度は廃止され、華族制度が創設されました。
  • 華族制度は第二次世界大戦後に消滅しましたが、公家の子孫は現代にも存在します。
  • 公卿は「くぎょう」、公家は「くげ」と読みます。
  • 公卿は公家社会の最高幹部であり、国政を担う重要な役割がありました。
  • 公家は天皇を補佐し、文化や儀式を継承する役割を果たしました。
  • 殿上人は昇殿を許された者の総称で、公卿はその一部です。
  • 公家は武士の台頭により、軍事力で劣り権力を奪われることになりました。
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