北海道の東端、根室半島の沖合に位置する歯舞群島は、北方領土の一部として知られています。この島々の人口について疑問をお持ちの方も多いのではないでしょうか。本記事では、歯舞群島の現在の人口状況から、戦前の歴史、そして北方領土問題における位置づけまで、詳しく解説します。
歯舞群島とは?その地理と歴史的背景

歯舞群島は、北海道の根室半島からほど近い場所に点在する島々です。その地理的特徴と、かつて多くの日本人が暮らしていた歴史を知ることで、現在の状況への理解が深まります。
根室半島沖に点在する歯舞群島の地理
歯舞群島は、北海道根室半島の納沙布岬からわずか3.7キロメートルの距離にある貝殻島をはじめ、水晶島、秋勇留島、勇留島、志発島、多楽島など、大小の島々から構成されています。これらの島々は、地質構造的に根室半島の延長が部分的に陥没したものとされ、地形や植生も根室半島に似ています。
群島全体の面積は約95~100平方キロメートルで、これは小笠原諸島とほぼ同じ広さです。 どの島も高低差は少なく、台地状の平坦な島々が多いのが特徴です。ササなどが生い茂り、大きな樹木はほとんど見られません。
戦前は多くの日本人が暮らした歯舞群島の歴史
歯舞群島は、江戸時代後期には日本の存在が広く認知され、文化4年(1807年)には幕府の直轄地となって色丹島とともに昆布採取が始まりました。 明治10年(1877年)以降には定住が始まり、昆布漁を中心に多くの日本人が暮らすようになりました。
戦前は対岸の歯舞村に属しており、最も大きい志発島には歯舞村役場の出張所が置かれ、群島の行政の中心となっていました。 終戦直前の1945年8月15日時点では、歯舞群島全体で852世帯、5,281人の日本人が居住していた記録が残っています。 小学校も作られ、昆布漁が盛んな豊かな漁場として栄えていたのです。
北方領土問題における歯舞群島の位置づけ
第二次世界大戦末期の1945年8月、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄して対日参戦し、終戦後も北方領土への侵攻を続けました。 歯舞群島は1945年9月5日までにソ連軍に占領され、翌1946年1月29日には日本の施政権が停止。同年2月20日にはソ連政府が自国領への編入を宣言しました。
以来、ソビエト連邦、そしてその継承国であるロシア連邦による実効支配が現在まで続いています。 日本政府は、歯舞群島を含む北方四島は一度も外国の領土となったことのない日本固有の領土であると主張し、その返還を求めています。
歯舞群島の現在の人口状況

歯舞群島は現在、ロシアの実効支配下にありますが、その人口状況は他の北方領土とは異なる特徴を持っています。現在の居住者について詳しく見ていきましょう。
日本人居住者はゼロ。ロシア国境警備隊が常駐
現在、歯舞群島には日本人は一人も居住していません。 第二次世界大戦後、ソ連による占領と強制的な引き揚げにより、かつて暮らしていた日本人住民は故郷を追われることになりました。 その後、日本の施政権が及ばない状況が続いています。
歯舞群島に常駐しているのは、ロシアの国境警備隊のみです。 一般のロシア人住民が生活しているわけではなく、軍事的な目的で人員が配置されている状況です。根室半島の納沙布岬から肉眼で見える貝殻島には、日本が1937年に建設した灯台がありますが、ここにもロシアの国境警備隊員が常駐しています。
他の北方四島との人口状況の違い
北方領土は、歯舞群島の他に択捉島、国後島、色丹島から構成されています。これらの島々には、現在約1万8千人(2018年~2020年のロシア統計による)のロシア人住民が生活を営んでいます。 しかし、歯舞群島には一般の住民がいないという点で、他の三島とは大きく異なります。
この違いの背景には、歯舞群島が比較的小規模な島々で構成されており、大規模な居住地やインフラの整備に適さない地理的要因が考えられます。また、ロシア側も歯舞群島を主に国境警備の拠点として位置づけているため、他の三島のような民間人の移住促進策は講じられていないと推測されます。
歯舞群島と周辺地域の活動

現在、歯舞群島に定住する住民はいませんが、周辺海域では活発な漁業活動が行われ、また元島民による故郷訪問も続けられています。
豊かな漁場としての歯舞群島
歯舞群島周辺の海域は、親潮と黒潮が交錯する世界有数の豊かな漁場として知られています。 特に昆布の産地として有名で、戦前は北方四島の総生産量の8割を歯舞群島が占めるほど昆布漁が盛んでした。
現在も、日ロ民間協定に基づき、日本の漁船が貝殻島周辺で昆布漁を行っています。2026年6月1日には、約180隻の漁船が一斉に出漁し、昆布の水揚げを目指しました。 この漁業活動は、地域経済にとって重要な役割を果たしています。
元島民による墓参と自由訪問
歯舞群島は、かつて多くの日本人が暮らしていた故郷です。終戦後、故郷を追われた元島民の方々は、高齢化が進む中で、墓参や自由訪問といった形で島を訪れる機会を得ています。 ロシア側との合意に基づき、限られた期間ではありますが、故郷の土を踏み、先祖を供養する機会が設けられています。
しかし、これらの訪問はあくまで特別な枠組みの中でのことであり、自由に往来できる状況にはありません。 元島民の方々は、変わり果てた故郷の姿に言葉を失うこともあるといいます。 北方領土問題の解決と、自由に故郷を訪れる日が来ることを願う声が強くあります。
歯舞群島に関するよくある質問

歯舞群島の人口や現状について、よく寄せられる質問とその回答をまとめました。
歯舞群島に日本人は住んでいますか?
いいえ、現在、歯舞群島には日本人は一人も住んでいません。 ロシア国境警備隊が常駐しているのみで、一般のロシア人住民も生活していません。
歯舞群島はどこの国が実効支配していますか?
歯舞群島は、ロシア連邦が実効支配しています。 しかし、日本政府は歴史的経緯や国際法に基づき、歯舞群島を含む北方四島は日本固有の領土であると主張し、その返還を求めています。
歯舞群島と色丹島はなぜ返還対象とされているのですか?
歯舞群島と色丹島は、1956年の日ソ共同宣言において、日本とソ連(当時)が平和条約を締結した後に日本へ引き渡すと明記されたためです。 これは、択捉島、国後島とは異なる扱いであり、北方領土問題の解決に向けた交渉において重要な位置を占めています。
歯舞群島の面積はどのくらいですか?
歯舞群島全体の面積は約95~100平方キロメートルです。 これは、日本の小笠原諸島とほぼ同じ広さにあたります。
歯舞群島にはどんな島がありますか?
歯舞群島は、貝殻島、水晶島、秋勇留島、勇留島、志発島、多楽島などが主な島々です。 この中で、志発島が最も大きな島として知られています。
まとめ
- 歯舞群島は北海道根室半島の沖合に点在する島々です。
- 貝殻島は納沙布岬からわずか3.7kmと最も本土に近い島です。
- 群島全体の面積は約95~100平方キロメートルです。
- 戦前は昆布漁が盛んで、多くの日本人が暮らしていました。
- 1945年8月15日時点で5,281人の日本人が居住していました。
- 第二次世界大戦後、ソ連(現ロシア)が占領し、実効支配しています。
- 現在、歯舞群島には日本人は一人も居住していません。
- 常駐しているのはロシアの国境警備隊のみです。
- 択捉島、国後島、色丹島にはロシア人住民がいますが、歯舞群島には一般住民がいません。
- 周辺海域は豊かな漁場で、現在も日ロ民間協定に基づく昆布漁が行われています。
- 元島民は墓参や自由訪問で故郷を訪れる機会があります。
- 日本政府は歯舞群島を日本固有の領土と主張し、返還を求めています。
- 1956年の日ソ共同宣言では、平和条約締結後に歯舞・色丹が引き渡されると明記されました。
- 歯舞群島は北方領土問題の解決に向けた重要な島々です。
