「戸主制度」という言葉を聞いたことはありますか?古い戸籍謄本を読み解く際や、歴史ドラマなどで耳にする機会があるかもしれません。しかし、具体的にどのような制度だったのか、現代の私たちには馴染みが薄いものです。この制度は、明治時代に日本の家族のあり方を大きく規定し、戦後の民法改正によって廃止されました。本記事では、戸主制度がどのようなものだったのか、その歴史的背景から家族に与えた影響、そして現代の家族制度との違いまで、わかりやすく解説します。
戸主制度の基本的な定義と特徴

戸主制度は、明治時代に制定された旧民法において、日本の家族のあり方を定めていた制度です。これは単なる戸籍上の記載に留まらず、家族の生活全般にわたる強い影響力を持っていました。現代の家族制度とは大きく異なる、その基本的な定義と特徴を見ていきましょう。
戸主制度とは何か?その概要
戸主制度とは、1898年(明治31年)に施行された明治民法で規定された「家制度」の中核をなすものでした。この制度では、「家」という単位が重視され、その「家」を統率する代表者が「戸主」と呼ばれました。戸主は戸籍の筆頭に記載され、その家を構成する家族全員を統括する権限を持っていたのです。現在の戸籍筆頭者とは異なり、戸主には家族に対する
非常に強い権限と同時に、扶養義務も課せられていました
。この制度は、第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)5月2日に廃止されるまで、約半世紀にわたり日本の社会と家族のあり方を形作りました。
戸主の役割と家族構成
戸主は、その「家」の代表者として、家族を統率する役割を担っていました。戸籍は戸主とその家族で構成されており、現在の戸籍制度とは異なり、祖父母、父母、子、孫といった三代以上の親族が同一の戸籍に記載されることも珍しくありませんでした。戸主は、家族の結婚や養子縁組、さらには居住地の決定に至るまで、
家族の重要な事柄に対して同意権を持っていました
。また、戸主の同意なしに婚姻や養子縁組をした家族を戸籍から排除する「離籍」も可能でした。その一方で、戸主には家族全員を扶養する重い義務も課せられていました。
戸主権の内容と範囲
戸主が持っていた権限は「戸主権」と呼ばれ、その内容は多岐にわたりました。主なものとしては、以下の点が挙げられます。
- 家族に対する扶養義務
- 家族の婚姻・養子縁組に対する同意権
- 家族の入籍または去家(他家への入籍や分家)に対する同意権
- 家族の居所指定権
- 家族の入籍を拒否する権利
- 家族を家から排除する(離籍)権利(ただし未成年者と推定家督相続人は離籍できない)
これらの権限は、戸主が
「家」という組織の「社長」のような存在
であり、家族はその「社員」のような立場であったことを示しています。戸主の権力が絶大であったことを示す俗言として、「カマドの灰まで戸主のもの」という言葉も存在しました。
戸主制度の歴史的背景と変遷

戸主制度は、日本の近代化の中でどのように確立され、そしてなぜ廃止されるに至ったのでしょうか。その歴史的背景と変遷を詳しく見ていきましょう。
明治民法における戸主制度の確立
戸主制度の原型は、大化の改新にまで遡るとも言われますが、近代的な「家制度」として法的に確立されたのは、1898年(明治31年)に施行された明治民法(旧民法)においてです。江戸時代の武士階級に発達した家父長制的な家族制度を基盤とし、
「家」を社会の最小単位として位置づけ、その秩序と安定が国家の安定につながる
と考えられました。明治政府は、天皇を中心とする中央統制機構の末端に戸主を位置づけ、戸主を通じて家々まで統制が行き届くことを目指したのです。これにより、戸主には絶大な統率権限と義務が与えられました。
戦後の廃止に至る経緯
戸主制度は、第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)5月2日に廃止されました。廃止の大きなきっかけとなったのは、
日本国憲法が定める「個人の尊厳」と「法の下の平等」、「両性の本質的平等」の原則
でした。家制度は、戸主を中心とした家族構成や、家督相続における長男優先の原則など、個人の権利や男女平等を著しく侵害する側面があったため、新しい憲法の理念とは相容れないものと判断されたのです。1947年4月19日には「日本国憲法の施行に伴う民法の応急的措置に関する法律」が公布され、同年5月3日の日本国憲法施行と同時に、戸主制度を含む旧民法の家族に関する規定が削除されました。これにより、日本の家族制度は「家」単位から「個人」単位へと大きく転換しました。
戸主制度が家族や社会に与えた影響
戸主制度は、約半世紀にわたり日本の社会に深く根付き、家族のあり方や個人の生活に大きな影響を与えました。特に、家督相続制度や女性の地位、そして家族観の変化にその影響が顕著に現れています。
家督相続制度の仕組み
戸主制度の大きな特徴の一つが「家督相続」です。これは、戸主が死亡したり隠居したりした場合に、その戸主の地位とそれに付随する一切の権利義務(財産を含む)を、原則として一人の家督相続人が包括的に単独で承継する制度でした。家督相続人となるのは、基本的には
戸主の長男が優先
されました。長男がいない場合や家督相続人となれない場合は、他の男子、あるいは長女、または戸主が指定した者が家督相続人となることもありましたが、他の兄弟姉妹や配偶者には原則として相続権が認められませんでした。この制度は、家業や土地など、代々受け継がれる「家」の財産を細分化させず、特定の者に集中させることで、「家」が永続的に存続することを目的としていました。
女性の地位と権利
戸主制度の下では、女性の地位は非常に低いものでした。戸主は原則として男性であり、女性が戸主となることは稀で、あくまで暫定的なものと見なされることが多かったのです。女性は結婚すると夫の家族の一員となり、夫の保護の下でその権威に従うという観念が形成されました。また、
妻には相続権すらなく
、男児が生まれないと非難されることもありました。結婚や養子縁組、居住地の決定など、女性個人の重要な決定も戸主の同意なしには自由に行えませんでした。このような状況は、男女不平等を助長し、女性の権利を著しく制限するものでした。
個人の尊重と家族観の変化
戸主制度は、「家」の存続を最優先とし、個人の意思よりも家の秩序や伝統を重んじる家族観を形成しました。家族は戸主の統率に従う義務を負い、個人の自由な行動は制限されることが多かったのです。例えば、戸主の同意を得られない結婚は「駆け落ち」するしかありませんでした。しかし、戦後の民法改正により戸主制度が廃止され、
「個人の尊厳」と「両性の平等」が重視される
ようになると、日本の家族観は大きく変化しました。「家」という枠組みよりも、個々の家族メンバーの意思や権利が尊重されるようになり、多様な家族のあり方が認められる現代へとつながる転換点となりました。
現代の家族制度との比較

戸主制度が廃止されてから長い年月が経ち、現代の日本の家族制度は大きく変化しました。ここでは、戸主制度と現在の民法における家族制度の違い、そして戸主制度が現代社会に残した影響について比較しながら見ていきましょう。
戸主制度と現行民法の違い
戸主制度と現行民法の家族制度には、以下のような大きな違いがあります。
| 項目 | 戸主制度(旧民法) | 現代の家族制度(現行民法) |
|---|---|---|
| 家族の単位 | 「家」を単位とし、戸主が統率 | 「夫婦」を単位とし、個人の尊重が基本 |
| 戸主/筆頭者 | 戸主が絶大な権限を持つ | 戸籍筆頭者は単なる表示上の代表者で、権限はない |
| 相続の原則 | 家督相続(原則として長男が単独相続) | 遺産相続(法定相続分に基づき複数人で分割相続) |
| 配偶者の相続権 | 原則なし | 常に相続人(他の順位と共同相続) |
| 女性の地位 | 低い(結婚・居住など戸主の同意が必要) | 男女平等 |
| 個人の意思 | 「家」の存続が優先され、個人の意思は制限される | 個人の尊厳が尊重される |
このように、戸主制度は「家」の維持・存続を目的とした制度であったのに対し、現代の家族制度は
個人の権利と自由を尊重する
ことを基本としています。相続においても、家督相続のような単独相続は廃止され、法定相続分に基づいた分割相続が原則となりました。
戸主制度が現代に残した影響
戸主制度は廃止されましたが、その影響が現代の日本社会や家族観に全く残っていないわけではありません。特に、
「長男が家を継ぐべき」という意識や、先祖代々の墓を守るという慣習
など、家制度に由来する考え方が一部で根強く残っています。例えば、遺産分割協議の際に、長男が「自分は長男だからすべて相続すべきだ」と主張するケースが今でも見られることがあります。また、古い不動産の登記簿を調査する際などには、当時の家督相続を証明する必要が生じることもあります。これらの慣習や意識は、現代の民法とは異なるため、相続トラブルの原因となる可能性もあります。戸主制度の歴史的背景を理解することは、現代の家族関係や相続問題を円滑に進める上でも役立つでしょう。
よくある質問

- 戸主制度はいつまであったのですか?
- 戸主制度のメリットとデメリットは何ですか?
- 戸主制度はなぜ廃止されたのですか?
- 戸主制度と家督相続は同じものですか?
- 戸主制度は現代の家族にどう影響していますか?
- 戸主制度下の女性の地位はどうでしたか?
戸主制度はいつまであったのですか?
戸主制度は、1898年(明治31年)7月16日に施行された明治民法(旧民法)によって規定され、第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)5月2日まで存在していました。日本国憲法の施行に伴い、1947年5月3日からは新しい民法が施行され、戸主制度は廃止されました。
戸主制度のメリットとデメリットは何ですか?
戸主制度のメリットとしては、戸主が家を統率することで、
家族の秩序が保たれ、家業や家産が安定的に維持・承継されやすかった
点が挙げられます。また、戸主には家族全員を扶養する義務があったため、家族の生活保障という側面もありました。一方、デメリットとしては、戸主の権限が強すぎたために
個人の自由や権利が著しく制限され、特に女性の地位が低かった
ことが挙げられます。家督相続による長男優先の原則は、他の家族の財産権を侵害し、男女不平等を助長する原因ともなりました。
戸主制度はなぜ廃止されたのですか?
戸主制度が廃止された主な理由は、第二次世界大戦後に制定された
日本国憲法の「個人の尊厳」と「両性の本質的平等」という基本原則に反していた
ためです。戸主制度は、戸主の絶大な権限や家督相続における長男優先など、個人の権利や男女平等を著しく侵害する側面があったため、新しい憲法の理念とは相容れないと判断されました。
戸主制度と家督相続は同じものですか?
戸主制度と家督相続は密接に関連していますが、厳密には同じものではありません。戸主制度は「家」を単位とし、戸主が家族を統率する制度全体を指します。これに対し、家督相続は、
戸主の地位とそれに付随する財産などを、特定の家督相続人(主に長男)が単独で承継する仕組み
を指します。つまり、家督相続は戸主制度の中核をなす、相続に関する具体的な制度の一つと言えます。
戸主制度は現代の家族にどう影響していますか?
戸主制度は廃止されましたが、その影響は現代の家族観や慣習に一部残っています。例えば、「長男が家を継ぐべき」という意識や、先祖代々の墓や祭祀を特定の者が守るべきという考え方などです。これらの慣習は、現代の民法とは異なるため、
遺産分割協議などでトラブルの原因となる
ことがあります。古い戸籍を読み解く際にも、戸主制度の知識が必要となる場合があります。
戸主制度下の女性の地位はどうでしたか?
戸主制度下では、
女性の地位は非常に低く、個人の権利が著しく制限されていました
。戸主は原則として男性であり、女性が戸主となることは稀でした。女性は結婚すると夫の家族の一員となり、夫の保護の下に置かれ、自分の意思で結婚や居住地を決める自由もほとんどありませんでした。また、妻には相続権がなく、男児が生まれないと非難されることもありました。このような状況は、男女不平等を助長するものでした。
まとめ
- 戸主制度は明治民法で規定された「家制度」の中核でした。
- 戸主は戸籍の筆頭に記載され、家族を統率する強い権限を持っていました。
- 戸主には家族の扶養義務も課せられていました。
- 家族の結婚や居住地決定には戸主の同意が必要でした。
- 戸主制度は1898年(明治31年)から1947年(昭和22年)まで存在しました。
- 第二次世界大戦後、日本国憲法の理念に基づき廃止されました。
- 廃止の理由は「個人の尊厳」と「両性の平等」に反するためでした。
- 家督相続は戸主制度における相続の仕組みでした。
- 家督相続は原則として長男が単独で承継しました。
- 戸主制度下では女性の地位が低く、権利が制限されていました。
- 現代の家族制度は個人の権利と自由を尊重します。
- 「長男が家を継ぐ」などの慣習は戸主制度の名残です。
- 古い戸籍の解読には戸主制度の知識が役立ちます。
- 現代の相続は法定相続分に基づく分割相続が原則です。
- 戸主制度の理解は現代の家族関係を考える上で重要です。
