徳川家康のお墓はどこにある?久能山と日光、二つの聖地を徹底解説

当ページのリンクには広告が含まれています。
徳川家康のお墓はどこにある?久能山と日光、二つの聖地を徹底解説
  • URLをコピーしました!

江戸幕府を開いた偉大な将軍、徳川家康公。彼の生涯は波乱に満ち、天下統一を成し遂げた後も、その遺志は日本の歴史に深く刻まれました。家康公のお墓と聞くと、多くの方が「どこにあるのだろう?」と疑問に思うかもしれません。実は、家康公のお墓とされる場所は二箇所存在します。静岡県の久能山東照宮と、栃木県の日光東照宮です。

本記事では、この二つの聖地が持つ意味合いや歴史的背景、そしてそれぞれの見どころやアクセス方法を詳しく解説します。家康公の壮大な人生と、彼が後世に託した願いに触れる旅へ、ぜひご一緒しましょう。

目次

徳川家康のお墓は二つある?その歴史的背景を紐解く

徳川家康のお墓は二つある?その歴史的背景を紐解く

徳川家康公の墓所が二つあるという事実は、多くの人々にとって驚きかもしれません。しかし、これには家康公自身の遺言と、彼を神として祀り上げる壮大な計画が深く関わっています。二つの東照宮は、それぞれ異なる役割と歴史を持ち、家康公の死後もその影響力を保ち続けるための重要な拠点となりました。

家康公は、自身の死後について具体的な遺言を残しました。それは、遺体を久能山に埋葬し、葬儀は江戸の増上寺で行い、位牌は三河の大樹寺に納めること。そして、一周忌が過ぎてから、下野の日光山に小さなお堂を建てて勧請し、神として祀るというものでした。この遺言が、二つの聖地が誕生するきっかけとなったのです。

最初の埋葬地:久能山東照宮の歴史と家康の遺言

徳川家康公は、元和2年(1616年)4月17日に駿府城(現在の静岡市)で75年の生涯を閉じました。 彼の遺言通り、その遺骸はすぐに久能山へと埋葬されました。 久能山は、駿河湾を見下ろす要害の地であり、家康公自身が「駿府城の本丸」と語るほど重視していた場所です。

二代将軍徳川秀忠は、父の遺命を受けて久能山に家康公を祀る神社「東照社」を造営しました。これが現在の久能山東照宮です。 社殿は元和3年(1617年)に完成し、当時の最高の建築技術と芸術が結集された「権現造」の様式で建てられました。 この久能山東照宮の社殿は、後に全国に造営される東照宮の原型となったとされています。

2010年には、本殿、石の間、拝殿が国宝に指定され、その歴史的価値が認められています。

神として祀られた最終の地:日光東照宮への遷座

久能山に埋葬された家康公の遺骸は、遺言に従い、一周忌を過ぎた元和3年(1617年)に下野国(現在の栃木県)の日光山へ改葬されました。 ここに建てられたのが、絢爛豪華な社殿で知られる日光東照宮です。 日光東照宮は、家康公を「東照大権現」として神格化し、日本全国の東照宮の総本社的存在となっています。

現在の壮麗な社殿群の多くは、家康公を熱烈に崇拝していた三代将軍徳川家光によって、家康公の21回忌に合わせて大規模な建て替えが行われたものです。 この「寛永の大造替」と呼ばれる事業では、全国から名工が集められ、漆や極彩色、精密な彫刻が施され、その豪華絢爛な姿は今日まで多くの人々を魅了し続けています。 日光東照宮は、輪王寺、日光二荒山神社とともに「日光の社寺」として1999年にユネスコ世界文化遺産に登録されました。

久能山東照宮:家康公が眠る最初の聖地を訪ねる

久能山東照宮:家康公が眠る最初の聖地を訪ねる

静岡県静岡市に位置する久能山東照宮は、徳川家康公が最初に埋葬された場所であり、全国の東照宮の原型となった重要な聖地です。駿河湾を一望できる高台にあり、その歴史的価値と美しい景観が訪れる人々を惹きつけます。家康公の遺志が息づくこの地で、彼の足跡をたどってみましょう。

久能山東照宮は、家康公が亡くなる直前に「遺骸は久能山に埋葬するように」と遺言した場所です。 この遺言は、家康公がこの地をいかに重要視していたかを示しています。社殿は江戸時代初期の代表的な権現造で、黒漆と赤漆の塗り仕上げに、錺金具や極彩色の彫刻がふんだんに施されており、当時の最高の建築技術と芸術が集約されています。

国宝に指定されている本殿、石の間、拝殿は必見です。

久能山東照宮の概要と見どころ

久能山東照宮の見どころは多岐にわたります。まず、社殿の豪華絢爛な装飾は圧巻です。特に、拝殿の向拝に配された中国の故事「司馬温公の瓶割り」をモチーフにした彫刻は、命を尊ぶ教えが込められており、訪れる人々に感銘を与えます。 また、境内には家康公の手形や、スペイン国王から贈られた貴重な洋時計などが展示されている久能山東照宮博物館もあります。

これらの展示品からは、家康公の人間性や当時の国際交流の一端を垣間見ることができます。

さらに、久能山東照宮は駿河湾を一望できる絶景スポットとしても知られています。 晴れた日には伊豆半島まで見渡せる雄大な景色が広がり、歴史と自然の美しさを同時に堪能できます。廟所参道には家康公に仕えた武将たちが奉納した石灯籠が並び、厳かな雰囲気を醸し出しています。 毎年4月17日には家康公の命日を偲ぶ例祭が斎行され、多くの参拝者が訪れます。

久能山東照宮へのアクセス方法と参拝のコツ

久能山東照宮へのアクセスは、主に二つの方法があります。一つは、日本平山頂から日本平ロープウェイを利用する方法です。 ロープウェイからは駿河湾や茶畑の美しい景色が広がり、空中散歩を楽しむことができます。日本平山頂には無料駐車場があり、車でのアクセスも便利です。

もう一つは、久能山下から1159段の石段を登る表参道を利用する方法です。 「いちいちごくろうさん」と語呂合わせされるこの石段は、体力が必要ですが、歴史を感じながら参拝したい方にはおすすめです。静岡駅から久能山下行きのシャトルバスも運行しており、公共交通機関を利用することも可能です。 参拝の際は、歩きやすい靴を選び、時間に余裕を持って訪れることが大切です。

日光東照宮:絢爛豪華な社殿に祀られる家康公の神格化

日光東照宮:絢爛豪華な社殿に祀られる家康公の神格化

栃木県日光市に鎮座する日光東照宮は、徳川家康公を神として祀る、日本を代表する神社です。その豪華絢爛な社殿群は、日本の伝統的な建築技術と芸術の粋を集めたものであり、訪れる人々を圧倒します。家康公の神格化という壮大な計画のもと、三代将軍家光によって現在の姿に造営されたこの聖地は、まさに「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿や「眠り猫」といった有名な彫刻だけでなく、歴史と文化の宝庫と言えるでしょう。

日光東照宮は、家康公の遺言に基づき、彼の遺骸が久能山から改葬された場所です。 家康公は「東照大権現」として祀られ、江戸の真北に位置する日光は、江戸幕府の鎮守としての役割も担いました。 三代将軍家光による「寛永の大造替」によって、現在の豪華な社殿群が築かれ、その壮麗さは家康公の威光を後世に伝えるものとなっています。

日光東照宮の概要と見どころ

日光東照宮には、国宝8棟、重要文化財34棟を含む55棟もの建造物が立ち並びます。 その中でも特に有名なのが、508体の精密な彫刻が施された国宝「陽明門」です。 一日中見ていても飽きないことから「日暮門」とも呼ばれるこの門は、金と白のコントラストが美しく、中国の故事に由来する聖人賢人、龍や鳳凰などの霊獣が生き生きと描かれています。

また、神厩舎の「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿や、東回廊の潜門にある「眠り猫」も、日光東照宮を象徴する見どころです。 奥宮には家康公の遺体が納められているとされる「御宝塔」があり、強いパワースポットとして知られています。 宝塔の隣に立つ「叶杉」は、願い事をすると叶うという言い伝えがあり、多くの参拝者が訪れます。

日光東照宮へのアクセス方法と参拝のコツ

日光東照宮へのアクセスは、電車とバスの利用が便利です。東武鉄道の特急スペーシアを利用すれば、浅草から東武日光駅まで直通で約2時間で到着します。 JR日光駅からもバスが運行しており、東照宮まで約10分でアクセスできます。 どちらの駅からでも徒歩で約30分ほどですが、家族連れや小さな子供がいる場合はバスの利用がおすすめです。

車で訪れる場合は、東北自動車道宇都宮ICから日光宇都宮道路を経て日光ICで降り、そこから約2kmです。 日光東照宮周辺は通年混雑が予想されるため、特に観光シーズンは公共交通機関の利用を検討し、時間に余裕を持った計画を立てることが参拝のコツです。 境内は広大で階段も多いため、歩きやすい靴で訪れることをおすすめします。

徳川家康の死と埋葬にまつわる謎と真実

徳川家康の死と埋葬にまつわる謎と真実

徳川家康公の死と、その後の埋葬については、多くの歴史的記録が残されていますが、同時にいくつかの謎や議論も存在します。特に、彼の遺体が本当に久能山から日光へ移されたのか、という点は長らく歴史愛好家の間で語り継がれてきました。ここでは、家康公の最期の様子から、彼の遺言、そして埋葬の経緯について、史実に基づきながらも、その背景にある真実を探ります。

家康公の死は、単なる一人の武将の死ではなく、江戸幕府の礎を築いた天下人の終焉として、その後の日本の歴史に大きな影響を与えました。彼の遺言には、死後も徳川家の永続と天下泰平を願う強い思いが込められていたと考えられます。 そのため、埋葬の場所や方法にも、深い意味が込められていたのです。

家康公の最期の地と遺言の内容

徳川家康公は、元和2年(1616年)4月17日、駿府城(現在の静岡市)で75歳で亡くなりました。 死因については諸説ありますが、病床で最期を迎えたことは確かです。 家康公は、自身の死期を悟り、側近たちに具体的な遺言を残しました。その内容は、自身の遺体を駿河の久能山に葬り、葬儀は江戸の増上寺で行うこと。

そして、位牌は三河の大樹寺に納めることでした。

さらに重要なのは、「一周忌が過ぎてから、下野の日光山に小さなお堂を建てて勧請し、神として祀ること」という指示でした。 これは、家康公が死後も「東照大権現」として日本を守護し、徳川幕府の永続を願う壮大な計画の一部であったと考えられます。 この遺言が、久能山と日光という二つの聖地が誕生する根拠となりました。

遺体は本当に移されたのか?埋葬の経緯

家康公の遺骸は、遺言通りまず久能山に埋葬されました。 しかし、翌元和3年(1617年)には、日光東照宮が創建され、家康公の遺骸が日光山に改葬されたと幕府の文献には記録されています。 この「改葬」の事実については、当時から様々な議論がありました。

埋葬後わずか1年で遺体を改葬するのは、当時の技術や衛生面を考えると困難ではないかという説も存在します。 そのため、久能山に遺体がそのまま残り、日光には分骨や遺品が納められたのではないか、あるいは神柩(神の棺)のみが移されたのではないか、といった見方もされています。 現代においても、家康公の遺体がどちらに眠っているのかは学術的に検証されることはなく、永遠の謎とされています。

しかし、両東照宮ともに家康公の墓所として尊崇され続けているのが現状です。

よくある質問

よくある質問

徳川家康公のお墓に関する疑問は尽きません。ここでは、多くの方が抱くであろう質問にお答えし、より深く家康公の歴史と文化遺産への理解を深めていきましょう。

徳川家康の墓はなぜ2つあるのですか?

徳川家康公の墓所が二つあるのは、彼自身の遺言によるものです。家康公は、自身の遺体を駿河の久能山に埋葬し、一周忌が過ぎてから下野の日光山に小さなお堂を建てて神として祀るよう指示しました。 久能山は最初の埋葬地であり、日光は神として祀られる最終の地とされています。 これは、家康公が死後も徳川家の永続と天下泰平を願う壮大な計画の一環でした。

徳川家康の遺体はどこにありますか?

徳川家康公の遺体については、静岡県の久能山東照宮に埋葬された後、栃木県の日光東照宮に改葬されたとされています。 しかし、埋葬後1年での改葬は困難だったのではないかという説もあり、久能山に遺体がそのまま残っているという見方もあります。 日光東照宮の奥宮にある「御宝塔」には家康公の神柩が納められていると伝えられていますが、建立以来一度も開けられたことはありません。

どちらに遺体が眠っているのかは、現代でも明確な答えが出ていない永遠の謎とされています。

徳川家康はどこで亡くなりましたか?

徳川家康公は、元和2年(1616年)4月17日に駿府城(現在の静岡市)で亡くなりました。 享年75歳でした。 駿府城は、家康公が大御所として晩年を過ごした場所です。

久能山東照宮と日光東照宮はどちらが本物ですか?

久能山東照宮と日光東照宮は、どちらも徳川家康公の墓所として「本物」であり、それぞれ異なる意味合いを持っています。久能山東照宮は家康公が最初に埋葬された地であり、彼の遺言によって建てられた最初の東照宮です。 一方、日光東照宮は家康公が神として祀られる最終の地であり、三代将軍家光によって壮麗な社殿が築かれました。

どちらも日本の歴史において非常に重要な文化遺産です。

徳川家康の墓は世界遺産ですか?

徳川家康公の墓所である日光東照宮は、輪王寺、日光二荒山神社とともに「日光の社寺」として1999年にユネスコ世界文化遺産に登録されています。 久能山東照宮は、本殿、石の間、拝殿が国宝に指定されていますが、世界遺産ではありません。

まとめ

  • 徳川家康公のお墓は、静岡県の久能山東照宮と栃木県の日光東照宮の二箇所にあります。
  • 久能山東照宮は、家康公が元和2年(1616年)に亡くなった後、遺言により最初に埋葬された地です。
  • 久能山東照宮の社殿は、二代将軍徳川秀忠によって造営され、国宝に指定されています。
  • 日光東照宮は、家康公の遺言に基づき、一周忌後に久能山から改葬され、神として祀られた最終の地です。
  • 日光東照宮の豪華絢爛な社殿は、三代将軍徳川家光による「寛永の大造替」で築かれました。
  • 日光東照宮は「日光の社寺」としてユネスコ世界文化遺産に登録されています。
  • 家康公は駿府城(現在の静岡市)で亡くなりました。
  • 久能山東照宮へのアクセスは、日本平ロープウェイまたは1159段の石段を登る方法があります。
  • 日光東照宮へのアクセスは、東武日光駅やJR日光駅からバスが便利です。
  • 久能山東照宮には家康公の手形や洋時計、日光東照宮には三猿や眠り猫などの見どころがあります。
  • 家康公の遺体が本当に久能山から日光へ移されたのかは、歴史上の謎とされています。
  • 両東照宮は、家康公の遺志と徳川幕府の権威を示す重要な聖地です。
  • 家康公の遺言には、死後も天下泰平を願う強い思いが込められていました。
  • 日光東照宮の奥宮にある「御宝塔」には家康公の神柩が納められていると伝えられています。
  • どちらの東照宮も、日本の歴史と文化を深く感じられる貴重な場所です。
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次