日本のロックシーンにその名を刻むギタリスト、木暮武彦さん。彼の音楽キャリアは、REBECCAやRED WARRIORSといった伝説的なバンドでの活躍を通じて、多くのファンを魅了してきました。しかし、その輝かしい功績の裏には、一体どのような若い頃の情熱と才能が隠されていたのでしょうか。本記事では、木暮武彦さんの少年時代から音楽との出会い、そして二つのバンドを結成するまでの道のりを深く掘り下げて解説します。
彼の音楽のルーツや、若き日の葛藤、そして揺るぎない信念に迫り、その魅力的な人物像を紐解いていきましょう。
少年時代の木暮武彦:音楽との衝撃的な出会い

木暮武彦さんは1960年3月8日、東京都杉並区に生まれました。彼の音楽への目覚めは早く、7歳の頃にテレビで観たザ・タイガースの「君だけに愛を」に心を奪われたことが始まりです。その後、10歳でショッキング・ブルーの「悲しき鉄道員」を聴き、洋楽の世界へと引き込まれていきました。この幼少期の体験が、後の彼の音楽人生の礎を築いたと言えるでしょう。
ギターとの出会いとロックへの傾倒
13歳になると、木暮武彦さんはフォークギターを弾き始めます。しかし、彼の音楽に対する情熱を決定づけたのは、15歳の時に友人がエレキギターを弾く姿を見た衝撃でした。この瞬間から、彼はロックミュージックに夢中になり、エレキギターこそが自身の表現手段だと確信したのです。高校時代には野球部に所属していた時期もありましたが、音楽への探求心は募るばかりでした。
高校に入学してからは、ディープ・パープルやビートルズ、KISS、エアロスミスといった洋楽ロックバンドのコピーに熱中しました。特に、レッド・ツェッペリンの「移民の歌」を聴いた時の興奮は、彼にとってロックとの決定的な出会いとなりました。また、ピンク・フロイドの『狂気』、特にデイヴ・ギルモアのギターソロには大きな影響を受け、そのメロディックでエコーのかかったサウンドは、彼の音楽性に深い刻印を残しました。
音楽の原点となった影響と憧れ
木暮武彦さんの若い頃の音楽性は、単なるコピーに留まらず、自身の内面から湧き上がる表現を追求するものでした。彼は、周りにギターのうまい人が多く、一時はキーボードに転向することも考えたと言います。しかし、ビートルズのジョージ・ハリスンのシンプルなギタープレイに触れ、「自分で音楽を作ればいいんだ」という気づきを得ました。
この発見が、彼をオリジナル曲制作へと駆り立てる原動力となったのです。
当時の日本の音楽シーンでは、フュージョンが流行し、テクニカルな演奏が重視される風潮がありました。しかし、木暮さんはそのような流れに疑問を感じ、セックス・ピストルズの登場に救いを見出します。彼は、テクニックよりも情熱やメッセージを重視するロックの精神に共感し、自身の音楽の方向性を確立していきました。この時期に培われた揺るぎない音楽的信念が、後のバンド活動へと繋がっていきます。
プロへの道:初期バンド活動と葛藤
高校を卒業する頃には、木暮武彦さんはプロのミュージシャンになることを強く意識していました。しかし、周囲からは「そんなの仕事になるわけない」と言われることもあり、就職という選択肢は考えられなかったと言います。彼は大学に進学し、猶予期間を得ながらアルバイトとバンド活動を両立させる日々を送りました。
アマチュア時代からプロを目指す決意
20歳になった1980年4月、木暮武彦さんはプロのミュージシャンになることを決意し、ニューウェーブ的なロックンロールバンド「クリNEX」を結成しました。このバンドで彼は初のオリジナル曲を制作し、テレビ番組などにも出演する機会を得ます。その後、同年10月にはさらにブラッシュアップしたロックンロールバンド「ストレイト」を結成し、ADAN音楽事務所のバックアップを受けて、念願のライブハウス「屋根裏」や日比谷野音のイベントに出演を果たしました。
ストレイト時代には、Charやアナーキー、BOWWOWといった当時の人気アーティストたちとも共演し、着実に経験を積んでいきました。この時期の活動は、彼がプロとしての基礎を築き、自身の音楽を多くの人々に届けるための重要なステップとなりました。しかし、同時に周りのバンドとの実力差を感じ、葛藤を抱えることもあったと語っています。
試行錯誤のバンド活動とオリジナル曲の誕生
木暮武彦さんは、アマチュア時代からオリジナル曲の制作に力を入れていました。彼は、コピーバンドが多い中で、自分自身の音楽を創造することに大きな意味を見出していたのです。20歳になる頃には、漠然としていた音楽への思いが明確になり、オリジナル曲を次々と生み出すようになりました。これは、それまでの鬱憤が一気に解放された瞬間でもあったと振り返っています。
彼の音楽制作への情熱は、常に新しい表現を追求する姿勢に表れていました。当時の音楽シーンの流行に流されることなく、自身の信じるロックンロールを追求するその姿勢は、若き日の木暮武彦さんの強い意志と才能の証と言えるでしょう。この試行錯誤の経験が、後のREBECCAやRED WARRIORSでの独創的な楽曲制作へと繋がっていきます。
REBECCA結成と音楽性の追求

ストレイト解散後の1981年10月、木暮武彦さんはREBECCAを結成します。彼がバンドのリーダーを務め、バンド名の名付け親でもありました。 当初は男性ボーカルでしたが、後にNOKKOが加入し、バンドは新たな局面を迎えます。
REBECCA誕生秘話とバンド名の由来
REBECCAというバンド名は、木暮武彦さんがケイト・ダグラス・ウィギンの小説『黒い瞳の少女レベッカ』(原題:Rebecca of Sunnybrook Farm)から引用して名付けたものです。 1982年7月には、木暮さんとNOKKOはデモテープを携えてロサンゼルスへ渡り、2ヶ月間現地の黒人バンドに参加するなど、海外での活動も模索しました。
帰国後、本格的にREBECCAの活動を再開し、1984年にCBS・ソニーからメジャーデビューを果たします。
デビュー当時のREBECCAは、木暮武彦さんがギターと作曲の中心を担い、バンドの音楽性を牽引していました。彼の作り出す楽曲は、当時の日本のロックシーンに新たな風を吹き込むものでした。若き日の木暮武彦さんの才能が存分に発揮された時期と言えるでしょう。
リーダーとしての役割と音楽的信念
REBECCAの初期において、木暮武彦さんはバンドのリーダーとして、その音楽的方向性を決定づける重要な役割を担っていました。彼はストレートなロックを目指しており、その信念に基づいて楽曲制作を行っていました。 デビューアルバム『VOICE PRINT』や2ndアルバム『Nothing To Lose』では、彼の作曲した楽曲が多数収録され、REBECCAサウンドの基盤を築きました。
しかし、レコード会社がNOKKOを前面に出した「アイドルバンド」としての方向転換を迫ったことで、木暮さんの音楽的信念との間に大きな溝が生じます。彼は、自身の目指すロックとは異なる方向性への変化に強い葛藤を抱えていました。
音楽性の違いによるREBECCAからの脱退
1985年1月、木暮武彦さんは音楽性の違いを理由に、2枚のアルバム発表後にREBECCAを脱退します。 これは、バンドの発起人であり、作曲の中心を担っていた彼にとって、苦渋の決断でした。レコード会社がNOKKOを前面に押し出す戦略を取る中で、木暮さんの目指すストレートなロックンロールとの乖離が決定的なものとなったのです。
彼の脱退は、当時の音楽シーンに大きな衝撃を与えましたが、木暮さんにとっては自身の音楽的アイデンティティを守るための必然的な選択でした。この決断が、後に彼がRED WARRIORSを結成し、新たなロックンロールの道を切り開くきっかけとなります。
RED WARRIORS結成:新たな情熱の爆発
REBECCA脱退後、木暮武彦さんはすぐに新たなバンドの結成に向けて動き出します。彼の音楽への情熱は衰えることなく、むしろ新たな表現の場を求めて燃え上がっていました。
盟友との出会いとRED WARRIORSの誕生
1985年2月、木暮武彦さんは元REBECCAのドラムス小沼達也、そしてボーカルの田所豊(ダイアモンド☆ユカイ)、ベースの小川清史と共にRED WARRIORSを結成します。 バンド名は、REBECCAと同じ「R」で始まるように命名されたと言われています。また、五十音順やアルファベット順でREBECCAの近くに来るように、というライバル心も込められていたという逸話も残っています。
ダイアモンド☆ユカイさんは、若い頃の木暮武彦さんを「めちゃくちゃまっすぐで、スポーツマン的な明るいやつだった」と語っており、二人の出会いは新たなロックバンドの誕生を予感させるものでした。 1986年10月、RED WARRIORSは日本コロムビアからメジャーデビューを果たし、日本のロックシーンにその存在感を示します。
若き日の木暮武彦が目指したロックサウンド
RED WARRIORSにおいて、木暮武彦さんはギタリストとして、そして作曲家として、自身の目指すストレートでブルージーなロックサウンドを追求しました。彼のダイナミックなギタープレイとメロディアスな楽曲は、多くのファンを熱狂させました。 RED WARRIORSは、1988年には日本武道館や西武球場でのライブを成功させるなど、日本のロックシーンを代表するバンドへと成長していきます。
木暮さんにとってRED WARRIORSは、「音楽的にも活動的にも、子供の頃からの理想のロック・バンド像を実現できたバンド」だったと語っています。 若き日の彼が抱いていたロックへの情熱と才能が、このバンドで存分に開花したと言えるでしょう。
若い頃の木暮武彦が放った魅力

木暮武彦さんの若い頃は、その音楽的才能だけでなく、人間的な魅力も多くの人々を惹きつけました。彼の情熱的な生き方とカリスマ性は、当時の日本のロックシーンにおいて唯一無二の存在感を放っていました。
音楽に全てを捧げた情熱的な姿
木暮武彦さんは、少年時代から音楽に全てを捧げる情熱を持っていました。ギターとの出会いからロックに夢中になり、プロのミュージシャンになることを決意してからは、ひたすら自身の音楽を追求する日々を送りました。REBECCAでの葛藤や脱退も、彼の音楽的信念を貫くための選択であり、その一途な姿勢は多くの人々に感動を与えました。
ダイアモンド☆ユカイさんが語る「めちゃくちゃまっすぐなやつ」という言葉は、まさに若き日の木暮武彦さんの本質を捉えています。彼は、流行に流されることなく、自身の信じるロックンロールを追求し続けることで、独自の音楽スタイルを確立していきました。
多くのファンを惹きつけた若き日のカリスマ性
REBECCAデビュー当時の木暮武彦さんは、「アイドル並みにかっこいい」と評されるほどのイケメンギタリストとして、多くのファンを魅了しました。 そのルックスだけでなく、ステージ上で見せるダイナミックなギタープレイと、楽曲に込められた情熱が、彼のカリスマ性を一層際立たせていました。
彼の存在は、当時の日本のロックシーンにおいて、単なるギタリストに留まらない大きな影響力を持っていました。若き日の木暮武彦さんが放った輝きは、今もなお多くの音楽ファンの心に深く刻まれています。
よくある質問

- 木暮武彦さんがギターを始めたきっかけは何ですか?
- REBECCAを脱退した理由は何ですか?
- RED WARRIORSのバンド名の由来は何ですか?
- 木暮武彦さんの若い頃の性格はどのようなものでしたか?
- 木暮武彦さんの現在の活動について教えてください。
木暮武彦さんがギターを始めたきっかけは何ですか?
木暮武彦さんがギターを始めたのは13歳の時で、最初はフォークギターでした。しかし、15歳の時に友人がエレキギターを弾く姿に衝撃を受け、ロックミュージックに夢中になり、エレキギターへと転向しました。
REBECCAを脱退した理由は何ですか?
木暮武彦さんがREBECCAを脱退した理由は、レコード会社がNOKKOを前面に出した「アイドルバンド」としての方向転換を迫ったことに対し、自身の目指すストレートなロックンロールとの音楽性の違いが生じたためです。彼は自身の音楽的信念を貫くために脱退を決意しました。
RED WARRIORSのバンド名の由来は何ですか?
RED WARRIORSのバンド名は、木暮武彦さんがREBECCAを脱退した後、REBECCAと同じ「R」で始まるように命名したと言われています。また、五十音順やアルファベット順でREBECCAの近くに来るように、というライバル心も込められていたという逸話もあります。
木暮武彦さんの若い頃の性格はどのようなものでしたか?
ダイアモンド☆ユカイさんによると、木暮武彦さんの若い頃は「めちゃくちゃまっすぐなやつ」で、「スポーツマン的な明るいやつだった」と語られています。音楽に対して非常に情熱的で、自身の信念を貫く強い意志を持っていたことが伺えます。
木暮武彦さんの現在の活動について教えてください。
木暮武彦さんは現在もRED WARRIORSの活動と並行して、ソロ活動やBig Mountain Blueとしての活動を展開しています。2003年からは富士山麓へ移住し、自然をテーマにしたアコースティックシリーズなど、多彩な音楽活動を続けています。
まとめ
- 木暮武彦さんは1960年3月8日生まれ、東京都杉並区出身です。
- 7歳でザ・タイガース、10歳でショッキング・ブルーを聴き音楽に目覚めました。
- 13歳でフォークギター、15歳でエレキギターを始めロックに傾倒しました。
- 高校時代は野球部に所属しながらも音楽への情熱を燃やしました。
- レッド・ツェッペリンやピンク・フロイドのデイヴ・ギルモアに影響を受けました。
- 20歳でプロを目指し、「クリNEX」「ストレイト」といった初期バンドで活動しました。
- 1981年10月にREBECCAを結成し、リーダーとしてバンド名を命名しました。
- REBECCAでは作曲の中心を担い、ストレートなロックを目指しました。
- レコード会社の方向性の違いから、1985年1月にREBECCAを脱退しました。
- 1985年2月、ダイアモンド☆ユカイらとRED WARRIORSを結成しました。
- RED WARRIORSのバンド名にはREBECCAへのライバル心も込められていました。
- 1986年10月にRED WARRIORSとしてメジャーデビューを果たしました。
- RED WARRIORSは彼の理想のロックバンド像を実現したと語っています。
- 若い頃は「アイドル並みにかっこいい」イケメンギタリストとして人気でした。
- ダイアモンド☆ユカイは彼を「まっすぐでスポーツマン的」と評しています。
